サンバの激しいリズムはブラジル人の血の中に流れているのでしょうか。それに対して、ボサノバは、かなり人の手が加えられたリズムのようです。その誕生は諸説紛々で、はっきりとは分かりません。bossaは英語ではcharm(魅力), swelling(腫れ物)などの意味があります。novaが新しい、の意味なので新しい魅力、と言う意味でしょうか。
イパヌマの娘、その娘は実在していた!
ジョビムとモラエスがヴェローゾと言うバーで一杯やっている時、前を通り過ぎて行ったのが近くに住んでいたピンヘイロ(Helo Pinheiro)さんです。ご覧の通りの美人です。名曲が生まれたわけです。ピンヘイロさんも、なかなか商才のある方で、イパヌマの娘、と名付けたブティックを経営しておられ、元気に過ごしています。
名曲、イパヌマの娘です。
ボサノヴァの誕生
ボサノバはリオで1950年代に生まれたと、されています。その後、サンパウロで有名になり、1965年あたりから衰退し、再び日本で生き返った、と言われています。
ジョアン・ジルベルトがボサノヴァの創始者と言われることもありますが、サンバのリズムから自然発生的に生まれた、とする説もあります。ジョアン・ジルベルトは若いとき生活が苦しく、姉の家に居候していた時、バスルーム(風呂場)でギターの練習をしました。バスルームは音の響きが良かったのでしょう。練習に打ち込むうちに生まれたのがボサノヴァ・リズム、と言う説もあります。確かに、素晴らしいギター弾きであり、歌もうまかったようです。この1950年代、ジョアン・ジルベルトの他に才能のある、若いミュージシャンがリオに集まっていました。
コパカバーナの浜辺沿いにあるナラ・レオンのマンションには、ジョアン・ジルベルト、カルロス・ジョビム、カルロス・リラ、ホベルト・メネスカル、ビニシャス・モラエスなどがたむろしていました。この雰囲気の中からボサノバが生まれたのでしょう。この中で、モラエスとメンドーサは詩人でしたので、作詞を担当したようです。
当初、ボサノヴァはブラジルでは人気が出ませんでしたが、アメリカのビッグバンド、Stan Getz スタン・ゲッツがアストラッド・ジルベルトを歌手に採用しボサノバ・アルバムをリリースし、アメリカで大人気となりました。ジョビム、ジョアン・ジルベルトもアメリカに渡りましたが、ジョアン・ジルベルトは早々にブラジルへ戻ったようです。アメリカのボサノバは、やはりアメリカ風になったようです。ジョアン・ジルベルトの肌に合わなかった、のかもしれません。アメリカにおけるボサノバの人気も1965年あたりから、下火になりました。
日本では1960年代からボサノヴァが知られるようになり、その人気は根強く、1980年代から沢山のボサノヴァ・ミュージシャンが日本を訪れるようになりました。ボサノバ誕生の頃、20代、30代の若者も既に50代にさしかかっていました。ボサノヴァ・ミュージシャンが新しい演奏の場を得たわけです。最近ではジョアン・ジルベルトも来日しています。現在、85歳です。日本人の感性がボサノヴァを理解し、その価値を高く評価しているのです。
ボサノヴァリズムの基本
リズムは2小節で完結しますが、1小節目の2拍目の打ち方により、2つのリズムカット方法があります。
1つは、2拍目がオンビート:
丸で囲んだ2拍と6拍を強めに打つと、ボサノヴァ特有の味が出てきます。
2つ目は、2拍目が8分音符だけ遅れる(ピアノ譜で現すと):
こんな風です。
ドラムでは:
をベースドラム(足)で、
を、ハイハット(右手)で
ボサノヴァリズムをクロススティック(左手)で刻みます。この三つを合わせると、こんな風になります。
この原型リズムが色んな形に変えられます。このリズムの上にポルトガル語の歌詞が乗っかるので、言葉のリズムによっても伴奏リズムが変わるそうです。そうなると、どれだけのバリエーションがあるのか、分かりません。
ボサノヴァ誕生に関わった人たちの音楽
ナラ・レオン Nara Leao
ナラ・レオンはボサノヴァのミューズ(女神)と呼ばれた人で『ボサノバはintimate whisperingである』と言う言葉を残しています。心を込めてつぶやく、のがボサノヴァ。決してオペラのように叫ぶ音楽ではないのです。
グレン・ミラーが作曲したMoonlight Serenadeです。jazzのスタンダードですが、ボサノヴァ風に美しくアレンジされています。
1950年代末にナラ・レオンのマンションにボサノヴァ誕生に関わった人が集まり交流が始まり、新しい音楽を作るミュージシャンのたまり場になりました。その中にジョアン・ジルベルト、アストラッド・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビム、カルロス・リラ、ホベルト・メネスカル、他に作詞家、詩人も顔を出していました。
ジョアン・ジルベルト Joao Gilbert
saudadeはサウダージと発音します。意味は郷愁、孤独、ノスタルジア、なつかしさ、など。英語名ではNo More Bluesと訳されています。悲しみよサヨウナラ、というような意味でしょうか。サウダージは訳すのが一番難しい言葉、と言われています。ボサノヴァには、いつも哀愁が漂っていますが、それがサウダージです。ボサノヴァの本質が、そこにあるのでしょう。
アストラッド・ジルベルト Astrud Gilbert
ホバート・メネスカル Robert Menescal
仲間の中にギタリストのホバート・メネスカルもいました。アメリカのギタリスト、バーニー・ケッセルに傾倒し、jazz志向が強い人のようです。jazz好きのプレーヤを集め、ピアノ、べース、ドラム、にギターを加えたクワルテット演奏で活躍しています。
カルロス・リラ Carlos Lyra
jazzの影響、という面白いタイトルの曲です。自分で引くギターと歌の絶妙なバランス、名人芸です!
アントニオ・カルロス・ジョビム Antonio Carlos Jobim
実に美しいメロディーです。ジョビムは偉大な作曲家ですね。途中の英語の部分を一部、紹介します。
I’ve never been in Paris for the summer
I’ve never drank a Scotch with this bouquet
My life is such a mess let’s have a Brahma
I’m happy that you called,
I really feel touché
Oh, it’s been a long, a very long time
Since a Brazilian has been in Paris com você
ブラジルはミュージシャンの宝庫だった!
リオに住むボサノバの中心人物だけが音楽シーンで活躍していたわけではなく、その他に沢山の才能あるミュージシャンがいました。ナラ・レオンのマンションに出入りしてはいませんでしたが、それぞれの音楽を追及していたのです。
ジルベルト・ジル Gilbert Gil
『Palco 舞台』 written and sung by Gilbert Gil
ジョアン・ドナート Joao Donato
『Minha Saudade 私の哀愁』 played by Joao Donato’ band Song written by Donato Lyrics written by Joao Gilbert
ドゥルバル・フェレイラ Durval Ferreira
From the album 『Batida Diferente』 異なるビート
ジャヴァン Djavan
『Luz 光』written and sung by Djavan
マリサ・ガタ・マンサ Marisa Gata Mansa
『Vaigem 旅』
セルジオ・メンデス Sergio Mendes
From the album 『Brasileiro』
エロアンヌ・エリアス Eliane Elias
『Girl from Ipanema』
ボサノバの影響 を受けたアメリカのミュージシャンの例です。
マイケル・フランクス Michael Franks
『Rendezvous in Rio』
デーブ・グルーシン Dave Grusin
『Bossa Baroque』
ボサノバ、そしてブラジルの音楽、魅力的です。アメリカのポピュラー、ジャズは商業主義が満杯ですが、ブラジルの音楽には音楽そして詩への真摯な心が感じられますね。その音楽に流れる哀愁をサウダージ saudadeと言うそうです。 私の乏しい知識の中で、好きな曲ばかりを紹介しました。 情報源として彩流社から出版されている『ボサノヴァの真実』と言う本を参考にしました。著者はWillie Whopperと言う人ですが、この人、日本人らしいです。 ボサノバは大人の音楽、是非、聞いて心の肥やしにしてください!